どうすれば人が育つのか迷う迷う
ますます寒くなっていく・・・
さて、人を育てる。
とにかく何よりも時間と手間が掛かると思っている。
教科書やAIだけでどうにでもなる物でもない。
それこそ仕事が終わった後の酒の席も有るかもしれない。
私自身も海外赴任をし、実質の現地法人トップを務めるまでは、自分がしてきた事は自分のノウハウ程度にしか考えていなかった。
年齢的に自分の能力限界も見えてきた事も有るのかもしれない。
誰かに何かを密かに託したいと思った部分もあろう。
私自身も日本で仕事をしていた時は意図せず直属の上司に似ていたのだと思う。
他の営業所や工場の人を見ても優秀かそうでないかを除いても、やはり直属の上司に似ているのだと感じる。
だからと言ってコピー品ではない。
そこにはその人が生きて来た様にする仕事のエッセンスが入っていると感じている。
つまりは生きて来た様にしか仕事は出来ないと思っている。
海外赴任時代に現地で特に力を入れて育成していた方が数名いた。
それこそご本人には伝えたり、伝えなかったりしながら色々な方策を講じた。
その中の1人が良く言われたこと。
仕事の進め方が私に似ていると。
そして悪い所ばかりマネしていると。
揶揄も有ろうかとは思う。
人とは何時の時代も悪い事が格好良く見える時が有るのだと思う。
自分自身もそうであった。
悪い事やどうでも良い事を経験し、その中から初めて必要な事に気が付くのだと思っている。
この本人の「気づき」が非常に重要になる。
教えて分かるモノではない。
その方が気が付くしかないと思っている。
ならば気が付くようにしようと。
これが大変であった。
結局は遠回りに思える事が最短である事がちょくちょく起こる。
この頃は日本で各部署の職人クラスの方に人材育成に力を借りていた。
毎夜のように居酒屋にしけこみ、看板どころか店を閉めるからと追い出されるまで話し込んだ。
アホなマスタークラスの連中で、同じように色々なモノの伝承に力を入れようとしていた連中であった。
私の中ではかなり上から目線ではあったのだが、このマスタークラスと私が思う連中にも人材育成のノウハウを持って帰って欲しかった。
目指すはこの人材育成のノウハウを持って起業可能なところまで纏めたいと願った。
まずは教える側の問題点を考える毎夜の飲みが続いた。
使う言葉の規定やそこに含む意味も決めた。
一例としては目指すのは管理者では無く監督者。
管理者は決められた事に対し、目の前に有る事の整合、不整合を確認する者とした。
これでは誰がルールを決めるのか。
最終は社長であるに違いないのだが、手前の現場レベルである。
そこで監督者の出番である。
単に役職による職権を利用したルール決めでは無く、何のために為にそのルール必要かを認識た人材である。
且つ、そのルールに対し、必要に応じ過不足無く伝達しなければならない。
自分の部署だけ良ければ良いでは他部署に迷惑を押し付けるだけになる。
必要に応じて他部署も含め集まり、議論可能な人材。
そしてその監督者をサポートする管理者。
そもそも監督者も監督者だけではなく、監督管理者を目指したのだが。
小さな海外の工場であったが、製造方、事務方ととにかく各区部署の監督者を誰にするかの議論は長かった。
知識だけではなく、性格や伸びしろ等々。
ローカルスタッフの役職等も関係無く、ひたすらに面接を繰り返す時期が有った。
今でもローカル間での面接は続いていると聞く。
とにかくローカルスタッフの言葉に含む心も知りたく、現地語の勉強を実地で頑張った自分も居たような。
通訳に現地語が上手くなったと褒められた時は異常なまでに嬉しかった。
晩年は通訳無しでもどうにか業務命令や試験の内容を現地語をで指示し、説明していた自分がいた。
何でもそうだが「やるかやらないか」の選択でしかない事をこの時に改めて知った気がする。