人が集まる会社
だんだんと寒くなっていく。
徐々にではあるが、寒さに耐えられなくなってきた・・・
会社と言えば、個人事業主の様に1人で営業しているものや、所謂大企業まで様々なのはご存知の通りだと思う。
昨今ではそれぞれの従業員に合わせた働き方を提唱する会社が多くなっている。
中には有給休暇無制限、出退勤自由なんて会社もある様であるが。
人に合わせたシステムとは何とも難しい。
従来の思い込みでは上手くいかなくなっている。
かと言って理屈だけでも上手く行かなくなっている。
特に理屈であれば、同じ理屈を用いる以上行き付くところは同じになる。
経営者が絵の勉強をするのは理屈以外を求めるからとなっている。
行き付く所まで行けば皆同じである。
そもそも行き付くのが難しいか・・・
中途半端では何事も中途半端になる。
私の様に・・・
それはさておき、会社には人が集まるシステムが有る。
そしてその人を効率的に運用して行かねばならないのは周知のとおり。
非常に小さな現場であったが、海外赴任中に多少なりとテストをして思った事。
不思議と作業チームは3人が良かった。
ひょっとしたら何か理屈が有るのかも知れないが、現状では見つかっていない。
作業効率だけに目を向けた良いではない。
何となくではあるがバランスが良いと言う表現が合うのかもしれない。
単に人数分けから入った部分もあるが、そこに新人教育等々も含めた3人1チームが良かった。
あとはこの3人チームを増やし、それで製造を行っていた。
人が増えれば色々な事が起こるのは当たり前。
しかし、社内で自分地位獲得のための政治力を背景としたパワーゲームだけでは悲しくなる。
いつぞや著名な方が言っていた。
仕事が暇だから派閥が生まれて権力闘争が始まると。
確かに仕事が忙しければ派閥闘争どころでは無かろう。
そして大量の仕事をこなして行く中で大きな仕事も出てくるだろう。
その結果としての地位獲得ならば喜ばしい。
大企業ともなればある意味、各個人やチームの輝かしい実績は出るのだと思う。
しかし中小零細企業ともなると、取り扱う商材の規模も小さくなり、実績が見えずらくなるのかもしれない。
各企業でこれ以上は凄いと言ったレベルは有るのだろうが、世間的に見て突飛も無い数字を叩き出すのは難しくなるのかもしれな。
これも上記の派閥争い等々で地位を獲得し易くなるのかもしれない。
ましてや中小零細企業では社長のワンマン経営も多いだろう。
社長に取り入って初めて地位獲得ができる・・・
我らの様な中小零細企業では実績もさる事ながら、社長の中立性も重要か。
この中立性は海外現地法人の実務上のトップとして気を使った。
虎の威を借るキツネをされても良い事など何も無い。
それぞれが地位に酔いしれず、それに拘らず、必要に応じて中立性を保ち日々精進できれば理想である。
しかし、そこは人は人。
各人欲しいモノが有り、自分が実績を積むよりも、人の実績を摘む方に力を入れる方を見た事も有る。
分かってはいるが人が集まると面白いモノである。
必ず1つのもですら見る事が出来なくなってしまう。
私なんぞは何を見れば良いのかも分かっていなかった様な・・・
お金???
お金で思い出した事がある。
この世の中には「安くて良いモノ」はほぼほぼ存在しない事である。
自分の価値観の中で「安くて良いモノ」はあるだろう。
ほぼほぼ存在しないと書いたのには、私には1つ安くて良いモノが有るからである。
それは「日本人」である。
海外で働くと良く分かる。
長期出張レベルでは無く、現地にとにかく長く、可能であれば赴任する事によって分かると思う。
そもそも世の中には3つのモノが大半だと思っている。
①安くて悪いモノ
所謂、安かろう悪かろうである。
②高くて良いモノ
これまた一般的である。
やはり良いモノは高いのである。
売る側もそこに優位性(付加価値)を付けて売って来るので当たり前である。
③高くて悪いモノ
間違っても買ってはいけないモノであるが、これが意外と多い。
書きたくは無いが、人に多い気がする。
幸いにして私は①に該当する。
良かった・・・
海外に出るとこれが良く分かる。
それと同時に報酬額によって人が動く事も良く目にする。
少しでも自分を高く売ろうとするのは当たり前だと思う。
そのために人は色々な事を学ぶのだから。
しかしこと日本人に関しては、何となくお金の話は憚られる感じが強い。
会社に大きく貢献しても、インセンティブ等があまりメジャーではないために見返りが少ない。
見返りばかりでは違った弊害が出ると思うが、異常に少なく感じてしまう。
良くやったで終わってしまうのが日本の会社である。
世界に目を向ければ日本人の緻密さは異常である。
ほんの僅かな事にも手を抜かない。
プライドを持って仕事をしているのが伝わって来るが、それが報酬に結びつかない。
そのため、結果として世界相場か見れば安くて良いモノになってしまう。
会社トップとしては可能な限り安くこき使った方が利益が上がり良い事ばかりである。
しかしそれがモチベーションを下げる場合が多く、人材流出にも拍車が掛かる。
日本人は会社に帰属するため、なかなか人材流出にまで行き付く事が無く、トップはそれに胡坐をかき易くなる。
ワールドワイドに見た報酬。
そろそろ日本もここに気が付くべきだと思う。
特に人材不足と言われる昨今である。
安く人を集める事も可能であろうが、実態は上記の①か③に行き付くであろう。
特にメーカー系のモノ作りの会社で②の発想は出づらいか。
自分たちの売り物が世界で戦うために安くて良い物を目指すのは良いが、それを人に強いるのは本末転倒である。
それでも「Made in JAPAN」は②に行き付きやすい。
以前ほど日本ブランドに優位性が無くなっているのも事実であろう。
分かりやすい所では電気屋さん等である。
日本ブランド以外も多く見かけるようになった。
それだけ日本ブランドの電気関係の物はキツイ状況なのであろう。
日本を代表する大企業が台湾系に買収されるなど典型的な1例だろう。
安く良いモノを目指すのも良いが、そればかりがワールドワイドで戦かう手段ではないと思う。
きっちりとしたコンセプトを再度考えるところに来ているのだろう。
あらためて日本ブランドだけではなく、日本人ブランドの確立も必要な気がする。
働くとは何だろう???
さて、昨日の意見の採用で思った事。
そもそもそういう場で、何でも言える雰囲気を作っても、何でも意見を採用しても、それでも何も意見を言わない人が居るのも事実。
それは何故なのか。
正直分かりません。
しかし、働く事によって給与を得ている以上、何かしかの理由で働いているのは事実。
それでは「働く=お金」なのか?
個人的意見では違うと思っている。
お金が無ければ始まらないと言われそうであるが・・・
もちろん生きても行くのも難しくなるであろう。
仮に「働く=お金」とした場合である。
それでも何故意見等々を言わないか。
それはその方の目的と行動が合致しない為であると思う。
すなわち意見をしてもお金にならないである。
意見を言って意見を言ってお金になるのであれば、コンサルタントでもした方が良いのかもしれないが・・・
何にしても欲するものと得るものが一致していない可能性が高いと思う。
人が行動を起こす以上、必ず何かの目的を持っていると思う。
自分で意識していようがいまいがである。
実際に男であれば誰でもあると思うのが、異性にモテ様とする目的と行動である。
意識すればそれでよいが、格好良くしたい何て言うのは余りにも安直な例であるが、それに当たると思う。
それでは意見を言ったから報酬を出すのであれば、いくら財布が厚くとも何時かは尽きてしまう。
少なくとも意見を言えばこうなると言ったケースをどんどん作るべきだと思う。
時間は掛かるであろうが、良いケースを積み重ねる事で有ると思う。
その中で1番の注意点は逆に意見を言った事で追い込まれるケースである。
1例でアウトだと思っている。
トップがそうせずとも周りがそうする可能性もある。
その場合は強権を発動し、トップがその者を守る位の覚悟がいると思う。
ここのところトップの強権について発動しない方がと書いていたが、この時ばかりは違う。
トップが推奨する事に対し、不当な扱いをする場合は即ストップの意味も込めて強権発動である。
正当の場合は基本的に強権発動は無い。
しかし不当を発見した場合は即時発動する事によって悪い事は許さない覚悟も発信できる。
これで意見を言った者が守られ、次回以降でもそうなんだと思って頂ければ周りに対してもプラスであると思う。
話を戻すと個人的には「働く=お金」は実は嘘だと思っている。
自分の中で欲しい物が明確に定まらず、あれもこれも考えて居る内に、お金で買えるから「お金」が欲しいにすり替わっているだけだと思っている。
極論である。
会社で社員の欲する物全てを買い与えた場合、お金が必要になるのだろうか。
お金の先にある欲しい物が明確にならないためのお金発言だと思っている。
意外と飲みでも何でも良いので、本当に貴方が欲する物が何かを話すと面白い。
いくらでも欲しいものを挙げてもらって構わない。
そしてそれを手に入れる具体的な方法を多少なりと検討する。
殆どの方が漠然とお金が欲しいと言いつつも具体的な方策は一切考えていない事が多いような気がする。
何事も漠然と考えると良い事ばかりではなく、怖い方が先に立つ。
どこぞの国で「暗闇には自分と同じ顔をした魔女がいる」と言う諺があるようだ。
つまりは自分が恐怖を抱くものを自分勝手に作り出してしる場合が多い。
どうしても何事も「得るものは見えずらく、失ったモノばかり目に付く」からだと思う。
その恐怖に打ち勝つための具体策。
そこにまた新たな漠然とした問題が出るのが確実なのだが。
ビビり症の私にはとんでもなく難しい事なのだが・・・
回り道が直線???
寒い・・・
とにかく寒い・・・
鼻水が止まらない・・・
健康管理がなっていない証拠であろう。
まだまだ努力が足りない。。。
さて、嘘でも会社のトップが偉ぶるのは良くない気がする。
特に社内向けで。
会社トップともなれば確実に色々な決断を迫られる。
その中でどうしても社内の意見をぶった切る様な状況もあるだろう。
しかしそのぶった切り方が問題になる。
周りに「俺がトップだから」と強権のみを思わせる判断理由は得策では無いと思う。
そうなれば下命される内に、確実にやらされ感が出てきて全てが他人事になっていく。
本来は上手く行く事もおかしな事になって来る可能性が高まる。
確実に部下の顔つきが悪くなろうと言うものである。
私が合議制を中心にした1番の理由はこの「やらされ」感を取り除きたかった事と「自分達が判断した事」が現実になっていく手応えである。
多少なりと私の無い頭を絞った物が市場に出て、その商品を見る事で苦労が喜びに変わる。
何時までもそれで話が出来る。
私の周りでも1つの成功体験をとの掛け声は上がるが、結構入り口で躓く様な気がする。
そもそも大きなグランドデザインも無く、会社トップが「何か無い?」では先に進まないのは当たり前である。
何か無い?でも多少なりと持っているイメージを語る必要がある気がする。
こんな事を考えているで十分だと思う。
周りにそのイメージを伝え、手書きでもイメージを可視化する。
意見は何でもウエルカムである。
これはこれで出来無いと言う意見もウエルカムである。
ならばそれで問題点が明らかになるためである。
意見を発して頂けた方は後々でも主催者側に回って来ると思う。
これで遣らされている感は相当に減ると思う。
後ろ向きでも何でも意見が採用され、それはそうだと周りに伝われば顔つきが変わってくると思う。
ここで腕の見せ所は、絶対にアホな意見でも一旦採用する事にあると思う。
頭で駄目だと分かっていても、その意見を言ったご本人は何かしかの意思を持っているはずである。
駄目な確認が必要になって来ると思う。
これが次回以降の有意義な発言になって来ると信じている。
良く「会社は人」という言葉を耳にするが、本当に人を大切にする会社はなかなか見受けられない。
お金的、人的、時間的等々可能な限り無駄を省きたいのは誰でも同じだと思う。
しかし、不思議と人は手法から考えると回り道をする。
現在地とゴールを直線で結んだ経路から外れる事は往々にして多いと思う。
あさっての方向は兎も角として、ある程度グランドデザインに乗っ取ったアホな意見は有難い。
物理的であるのかは自分自身も良く分かっていないが、現在地から答えを直線で結んだものが正解に見えても、そこに人が絡むと回り道が正解になる時が有ると思う。
つまりは回り道と歪んで見えた道が、自分の持っていた地図上で展開した時に直線になるイメージである。
1人で仕事をしていても同様の事が沢山ある。
仕事で無くとも沢山ある。
急がば回れではないのだが、回ったはずが直線と言うものは、のちに振り返って初めて分かる事の様な気がする。
何とも組織や人は難しい。
と書いておきながら、これ等の事が全く出来ていない自分は内緒で有るのだが・・・
偉ぶる?
海外赴任中に現地法人の実質トップを務めた時である。
自分自身を「偉い」と思った事は1度も無い。
「偉い」のとは意味が異なると思っている。
ただ単に「決定権」が有るだけである。
ただし本当の社長であり、特に中小企業ともなればまさにその枠の中では神にも等しい力を手に入れたと錯覚する事も有るかもしれない。
私もこの部分は非常に気を使った。
ある意味会社員の殺生与奪権を有していることになる。
色々な事を決定していくのは当たり前であるが、会社組織を運営して行く以上、望むと望まざるとその力を行使せねばならない瞬間が出てくる。
絶対にその力には酔わない。
そう心に誓っていた。
偉いわけでは無く決定権があるだけ。
それを絶対に勘違いしない様に気を使った。
特に海外であれば自分が気にしなくとも勝手に色々な解釈をする方が出る。
多少なりとローカルの要求を聞いていると、いつの間にやら私のバックには社長が付いている位の勘違いをはじめる場合がある。
昇給や賞与をネタに冗談でもあいつの分を「上げてやる」や「下げてやる」は口にしなかった。
噂だけでも気を使った。
おかげさまで日常の中で従業員への気の使い方が勝手に身についた。
私は「付いて来い」タイプの強いリーダーではない。
合議制を採用していた。
どんな下っ端でも話を聞き、現場のリーダーや中間管理職の方々等々を交えて良く話をした。
これがこの間の人の顔つきにも影響してくる。
何にしても実質、現地法人のトップである以上、その強権を発動した段階で負けだと思っていた。
何故ならば合議制の中で、強権を発動せねば意見が通らないと言う事は何かが違っているのでは思う。
そんな中で絶対に忘れない様にしていた事がもう一つ。
自分が下っ端の時の思い。
立場によって見えて来るものが有ると思う。
だからこそ下っ端には見えないものが有る。
そのための丁寧な説明。
お陰様でこの訓練を海外で行った事により、より営業に磨きがかかったと今では思える。
やはり色々と自分で決めて実行することは大切であると思う。
顔つきについて
徐々にであるが最低気温が下がってきているのが体感できる。
寒いのはとにかく苦手にしている。
暑いのはいくら暑くても良いのだけれど・・・
週末はまた天気が悪そう。
何時になったら釣りに行けるのやら・・・
さて、顔つきについて。
これまた面白いモノで、気分のノリ次第で大きく顔つきが異なる。
明らかに仕事のノリが悪いとそれなりの顔つきになって来る。
朝のミーティングの際に良く分かる。
そうなればお願いするする仕事も考慮する。
なぜなら100%のパフォーマンスが出せない状況で、厳しい仕事はお願いできない。
そして顔つきはプライベートも含めた心の状況であると思う。
良く仕事とプライベートは別と言われるが、あくまで時間軸だけの話だと思っている。
確実にプライベートは仕事に影響を及ぼす。
その逆もしかりである。
仕事の出来ない男で格好良い男を知らない。
作りの問題では無く顔つきである。
仕事にノっている時は働く男の顔つきになっている。
格好良いのである。
そうなると、どう皆様を仕事中にノせるのかが意外と大きな問題になって来る。
ノっていないとミスも増える傾向が有る。
個人的には常に一方的に命令ばかりされているとノリが悪くなる傾向は確実にあると思う。
少なからず全員が仕事について何かを考えていると思いたい。
少しでもその話を伺い、実践することでノって来るのではと思っている。
自分自身もそうであろう。
しかし、話でありアイデアで有りを聞くだけでは駄目である。
話す方も初めは聞いてくれたで満足するかもしれないが、必ず「聞くだけ」だからとなってしまう。
そうするとあっという間にノリが悪くなる。
駄目だと思うアイデアでもトライする。
「駄目だよそんなの」となれば、相手も話をしなくなり、仕事のノリが悪くなる。
自分が駄目だと判断した事でも駄目の確認は重要である。
そしてこの駄目な確認が何時ものベースになる。
何時もダメであれば変化無し。
しかしそれが出来た時には何かが変化している可能性が高いと思われるからである。
そうなると新しいアイデアが出来ても条件が怪しくなってくる。
それはそれで新しい発見なのであろうが。
常に「駄目の確認」である「駄目確」は必要だと思っている。
昨今は皆様頭が良い。
私の様にやってみないと分からない人が減っていると思う。
しかしこの失敗が必ず活る。
社内であり、客先でありである。
お金や時間の問題もあるのかもしれない。
しかしこの「駄目確」は不変であると思っている。
だからこそ失敗は成功の母なのだと。
年がら年中、失敗だけしている私が言う言葉ではないか・・・
また、自分に失敗の経験があるからと言って、それを初めてやる方を止めてはいけない。
経験させることは重要である。
常になぜ失敗したかも確認が必要である。
何故成功したかも重要なのは変わりないのだが。
常にこの「何故?」を持ち、それを解決する事を実践していくことが仕事上でのノリになって来るのではと思えてならない。
私の場合はせめて1度で良いので成功体験が欲しい所であるのだが・・・
意外と大切な服装
せっかくの3連休が台風接近・・・
釣りの予定も完全に中止。
早い段階で分かってはいても、やはり残念。
それでも天気が良かったのが救いか。
さて、サラリーマンの服装についてつまらない事をつらつらと書いてみた。
しかし、この服装が意外と大切である。
スーツさえ着ていればと下っ端時代には思っていた。
何も考えずに白い、まさにYシャツである。
ホワイトシャツが由来と言われるYシャツ。
それを地で行っていた。
しかし例え中小企業と言えど、トップの方は多少なりと違う。
服装にお金が掛かっている。
別にお金を掛けろと言う話でもないのだが。
多少でもスーツの事を勉強すると意外と早い時期に違いが分かる様になった気がしてくる。
高い安いやどこのメーカーなどは未だに見ただけでは全く分からないのだが・・・
まだまだ目が肥えていないこの事実・・・
もっと色々な方とお会いするなど勉強せねば。
海外赴任時代は工場にいた関係もあり、お客様をお迎えするときはほぼ作業着であった。
そんな中、お客様の海外営業所の開所式に呼ばれた。
早速クローゼットを覗けばオーソドックスなスーツが無い。
そこでスーツを仕立て、さらにドレスシャツ、革靴と見立てた事があった。
この時のスーツは紺色、所謂リクルートスーツの様な色である。
ただしドレスシャツは薄いブルーとし、ネクタイもドレスシャツに合わせた青基調の物をチョイス。
ここまでチョイと堅苦しめに入っているが、開所パーティーをホテルで催すほどの規模の会社であり、お招きされた各社ともそれなりの方が見えるのではと予想した。
そのため靴もストレートチップで堅くまとめた。
面白味は少ない。
会場では案の定99%の方がリクルートスーツの様な濃いネイビーブルー系のスーツであった。
ただしドレスシャツはほぼ白。
袖口からドレスシャツが見える方もほぼ居ない・・・
各社とも役職が高い方が多かったのであろう。
それなりにお年を召された方が大半であり、バブル世代を経験しておりオーバーサイズのスーツが当たり前になっているのかもしれない。
そんなパーティー会場で色々な方とお話しし、その後日である。
その時にお話しした方と後日会食を持った。
第一声が「ジェームズさんもバリバリの営業系の方なんですか?」であった。
この発言はパーティー会場の私のスーツ姿から来たもので有る事をこの後の会話の中で理解した。
いつもの現場作業着に毛の生えた様な格好で行かなくて良かった。
私は本来バリバリの営業である。
海外赴任をするまで、正しくは海外赴任をしてしばらくは営業であった。
作業着とスーツ姿ではあまりにも格差が大きいが、それ程までに服装は大切であると感じた。
それと同時に何だか分からないが「勝った」気になった。
何故なら「営業系の方」とお客様に言わしめた格好。
取り合えずあの開所パーティーの場所にハマり、相手にもその服装の意味が伝わった。
これが勝ったと私自身が思わせた原因だと思う。
経営者に限らずとなるであろう。
社内の人、社外の人に服装でメッセージを込める事を少し考えていこうと思えた時であった。
何故かプライベートの服にはその事が全く活かされない。
お相手の方でも居れば違うのであろうが・・・